カテゴリー「● 暦、行事、風俗(伝統文化、能)」の22件の記事

2019年5月17日 (金)

加賀万歳、笑って名所知る!観光客に練習披露、金沢市、石川県 (2019.5.15)

 金沢市の伝統芸能、「加賀万歳」の公開練習が5月11日、同市東山の「ひがし茶屋休憩館」で始まりました。基本的に、主人である太夫と、従者である才蔵の掛け合いで行われますが、保存会の二人が「北陸新幹線」と「令和金沢新名所づくし」などを軽快な掛け合いの口調で語り、観光客らの笑いを誘った。

 

 加賀万歳は、前田利家が越前の府中(武生市)を統治していたころ、野大坪のお百姓さんたちが年頭の恒例行事として披露していた越前万歳がルーツ。利家が金沢城に入城した後、金沢の人たちが真似をして楽しみ、のち能(加賀宝生)の要素も取り入れ、金沢の伝統芸能、無形民俗文化財に指定された。

 

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加賀万歳を観光客に披露する(左から)田中久雄会長(78)と能瀬鐐一副会長(74)、ひがし茶屋休憩館、金沢市東山、金沢市、石川県、北陸中日新聞、2019.5.13

 

 

加賀万歳、第60回民俗芸能大会、石川県金沢市本多町


YouTube(chino5temp): https://youtu.be/NlPuNLX-gaA 、2018.11.26 公開

 

(Link)


 〇  加賀万歳、郷土芸能・民俗芸能(JTCO日本伝統文化振興機構): http://www.jtco.or.jp/japanese-culture/?act=detail&id=98&p=0&c=19

 〇 加賀万歳(いいね金沢、金沢市):https://www4.city.kanazawa.lg.jp/17003/dentou/geinou/kagamansai/index.html

2019年5月 2日 (木)

天皇陛下、皇位継承の儀、即位後朝見の儀 お言葉全文(2019.5.1) 

 天皇陛下(御名・徳仁)は5月1日午前0時、皇室典範特例法の規定に従い、第126代天皇に即位された。同時刻に元号も「平成」から「令和」に改元された。

 天皇陛下は同日午前、皇居・宮殿の正殿「松の間」で、皇位継承の儀式「剣璽(けんじ)等継承の儀」と、国民の代表と会う儀式「即位後朝見(ちょうけん)の儀」に臨み、天皇として初のお言葉を述べられた。

 



即位後朝見の儀 
(YouTube、https://youtu.be/MpCEdhhD4Ts 、 時事通信映像センター)

 

                 天皇陛下即位後朝見の儀  お言葉全文

 日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。

 顧みれば、上皇陛下にはご即位により、30年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心(みこころ)をご自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお努めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。

 

 ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(けんさん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。

 

 天皇陛下が皇居で国民の代表と会う儀式即位後朝見の儀」は、午前11時12分から始まり、皇后雅子さまや秋篠宮ご夫妻ら成年の皇族方計13人が参列。国民の代表として、安倍首相ら三権の長や閣僚、都道府県知事、都道府県議会の代表らが参列した。(宮内庁提供)

 

 

 

2019年5月 1日 (水)

天皇陛下、退位礼正殿の儀、天皇陛下退位の礼 お言葉全文 (2019.4.30) 

 天皇陛下の退位に伴う「退位礼正殿の儀」が4月30日夕、皇居・宮殿「松の間」で行われ、在位中最後のお言葉(動画開始後約7分過ぎから)を述べられた。

 5月1日午前零時に皇太子さまが新天皇に即位した。「平成」の時代は終わり、「令和」に改元された。新天皇陛下は59歳で、戦後生まれで初めての天皇となった。85歳の天皇陛下は上皇となった。天皇の退位は、江戸時代の光格天皇以来202年ぶりで、憲政史上初の儀式。天皇陛下の在位は30年と114日だった。

 



退位礼正殿の儀

(YouTube、https://youtu.be/9TqFd94UyaY 、 時事通信映像センター)

 

天皇陛下退位の礼 お言葉全文

 今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。


 即位から30年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。


 明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここにわが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

 

 天皇陛下退位礼正殿の儀は、 国民に広く退位を知らせるため憲法が定める天皇の国事行為として実施。皇后さまや皇太子ご夫妻ら成年皇族15人全員に加え、閣僚や衆参正副議長、最高裁長官、国会議員、都道府県知事や市町村長の代表ら294人が参列した。(宮内庁提供)

 

2019年4月 9日 (火)

花見の歴史、梅花の宴、醍醐の花見、農村の花見正月、日本最古の山高神代桜、とは (2019.4.9)

 花見は、古代、桜ではなく梅であった。奈良時代、中国から伝来した梅を鑑賞していたが、平安時代に桜に代わった。当時はもっぱら貴族の行楽で、酒を飲みながら詩歌を詠った。

梅花の宴

歌人で大宰師(太宰府長官)、大伴旅人の邸宅で開かれた宴(博多人形、山村作)
新元号、「令和」の典拠は、万葉集、巻5、梅花の歌32首 序文
730年(天平2年)正月13日(太陽暦2月8日頃)(Google画像)

 花見が庶民の娯楽となったのは鎌倉時代以降のこと、安土桃山時代、秀吉の醍醐の花見は有名。江戸後期には、東京近郊の染井村(のち東京豊島区駒込付近)の植木職人が、エドヒガンとオオシマサクラを交配して、桜の代名詞ともなっているソメイヨシノを育成した。

 醍醐の花見

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 秀吉が京都醍醐寺の三宝院で催した豪華な花見の宴
1598年(慶長3年)3月15日 (Google画像)

 当日は秀頼のほか北政所,淀君以下の妻妾をつらね、山中に設けられた八つの御茶屋を巡る趣向であった。醍醐寺三宝院の再興事業と言う側面を持つ。結果的に秀吉最後の快楽となった。

 農村の花見正月

 昔の村には、どの土地でも立派な桜が、小高い丘の上など、いつも見える場所にあった。 農村においては、花見は農作に先立って守らねばならぬ春の儀礼の一つで、これを花見正月といった。村人たちは桜の木の下で豊作を祈願し、酒宴を催した。

 サクラの「さ」は田の神を、「くら」は依代(よりしろ)を意味し、桜は田の神が下りてくる木という。昔の桜は、木により開花時期がバラバラだったので、人々は桜を目安に畑仕事をした。春には神も人間も虫も桜に集まり、桜の前では、神も人もいっしょに舞い、遊ぶ、そうした「神遊び」が「花見」だと言う。

日本最古の山高神代桜

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 日本最古の巨木の桜、山高神代桜(エドヒガンザクラ、樹齢約2000年)
村の小高い山高地区の実相寺(日蓮宗)境内、山梨県 (Google画像)

山高神代桜(花見特集2019):https://sp.jorudan.co.jp/hanami/spot_205.html

神代桜(実相寺ホ-ムページ、山梨県): http://park8.wakwak.com/~matsunaga/

 日本三大桜は、この他、根尾谷淡墨桜(エドヒガンザクラ、樹齢約」1500年、岐阜県)、三春滝桜(ベニシダレザクラ、樹齢約1000年、福島県)などが有名。

(Link)

 〇 日本の国花(サクラ、桜)、ソメイヨシノ(染井吉野)、犀川沿いと兼六園の桜、さくらさくら(文部省唱歌)、吉野千本桜、とは(2010.4.10): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-1c24.html

 〇 花見(はなみ)、桜を見て遊び楽しむこと、桜は田の神が下りてくる木、花見正月、日本最古の桜、山高神代桜(エドヒガンザクラ、樹齢約2000年、山梨県)、とは、2015.4.10):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-502b.html

 〇 新元号(5月1日施行)、令和(れいわ)、出典は万葉集、初の日本古典(国書)由来!とは(2019.4.6):http://kanazawa-carfur.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-5ebf.html


(追加資料)

 〇 日本三大桜の一つで、国の天然記念物に指定されている福島県三春町の「三春滝桜」が4月16日、満開となった。ライトアップされ、桃色の花びらが夜空に浮かんだ。三春滝桜は高さ13.5m、枝は直径約25mに広がるベニシダレザクラで、樹齢は千年以上といわれる。(北陸中日新聞、2019.4.17) 
 ライトアップされた三春滝桜(時事通信トレンドニュース、YouTube):    https://www.youtube.com/watch?v=uayg04566NI

 

 

 

 

2019年4月 6日 (土)

新元号(5月1日施行)、令和(れいわ)、出典は万葉集、初の日本古典(国書)由来!とは(2019.4.6)

 政府は2019年4月1日、「平成」に代わる新元号を「令和(れいわ)」と決定した。出典は現存する日本最古の和歌集「万葉集」で、中国古典(漢籍)ではなく、確認される限り初めて日本古典(国書)から引用したという。

 新元号に関する政令は同日、今の天皇陛下が署名され、公布された。4月30日の天皇陛下退位に伴い、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日午前零時に施行される。

 「令和」は「大化(たいか)」(645年)から数えて248個目の元号で、1979年制定の元号法に基づく改元は、「平成」に続いて2例目。皇位継承前の新元号公表は明治以降、天皇一代に一つの元号とする「一世一元号」制になった憲政史上初めて。改元一カ月前に新元号を発表し、国民への周知や官民の情報システム改修の準備期間を設けた。

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新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官、4月1日午前11時41分、首相官邸で、北陸中日新聞、2019.4.2

(動画) 新元号は「令和(れいわ)}(産経ニュース):https://www.sankei.com/smp/main/topics/main-36201-t.html

 「令和」は菅義偉官房長官が1日午前の記者会見で、墨書(欧陽詢という唐時代の楷書の四大家の書体、中国の書聖、王羲之の系譜!)を掲げて公表した。典拠は万葉集、巻5、梅花の歌32首 序文。730年(天平2年)正月13日(太陽暦2月8日頃)、歌人で大宰師(太宰府長官)であった大伴旅人の邸宅にて開かれた宴という。

 梅花の宴の場面の一部は、「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」。歌の意味は、「春の初めの良い月に、さわやかな風が柔らかく吹いている、その中で梅の花が 美しい女性が鏡の前で おしろいをつけているかのように 白く美しく咲き、 宴席は高貴な人が身につける香り袋の香りのように薫っている」。

  この後、安倍晋三首相は記者会見で、新元号について「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生れ育つという意味が込められている」と述べた。出典の万葉集については「幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と説明した。「令和」のローマ字表記は「REIWA」。

 なお、純粋な国書由来だとする政府発表に異議を唱える専門家もいる。報道で「令和」の考案者と見られている、万葉集研究者の中西進氏によれば、「梅花の宴」の序文は、蘭亭序の形式と同じ、中国では唐の初めに漢詩に序をつけることが流行する。この傾向は万葉集の中にも入り込み、独特な表現様式を持つことになった。唐風にならい、仏教を受容しつつ国家的整備を進めた時代精神が支えた、と指摘している。

 また、中国古代史に詳しい学習院大学の鶴間和幸教授は、「文選」巻15に収録された張衡(張平子、後漢の政治家・科学者、78-139)の「帰田賦」に以下の一節がある。「於是仲春令月 時和気清 原隰鬱茂 百草滋栄」。岩波書店の新日本古典文学大系「萬葉集(一)exit_nicoichiba』には、「梅花の歌」の序文はこれを踏まえたものであることが補注されている、とコメントした。

 〇 「令和」の出典(ニコニコ大百科): https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BB%A4%E5%92%8C

(Link)
 〇 日本の国旗(日の丸)、国歌(君が代)、天皇の称号、元号(明治、大正、昭和、平成、令和)の起源、天皇陛下ビデオメッセージ(東日本大地震)、とは(2011.3.21): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/2011321-8dda.html 

 〇 空海(弘法大師)と書(風信帖、飛白書、雑体書)、五筆和尚、筆の誤り、筆を選ばず、とは(2009.11.13): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/20091113-1bba.html 

(追加資料)

 〇 「万葉集 令しく平和に生きる原点」

  新元号「令和」の考案者との見方が専門家の間で浮上している高志の国文学館(富山市)の中西進館長が、新元号発表後、著書を出版する筑摩書房に対して「万葉集は令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」とのコメントを寄せていることが分った。同社が4月8日、明らかにした。
 筑摩書房によると、令和発表後に考案者として中西氏の名前が取り沙汰されると、著書「万葉の秀歌」(ちくま学芸文庫)が殺到した。一万部の重版を決め、2日に中西氏へ連絡したところ、同日中にファクスでコメントが届いたという。
 増刷分には中西氏のコメントを印刷して帯を付けて販売する。「万葉の秀歌」は2012年に出版して以来、初めての重版。
   中西氏は共同通信などの取材に対し、考案者かと尋ねられ「私からお話しすることはありません。何も知りません」と述べていた。(北陸中日新聞、2019.4.9)

 

 新元号「令和」の考案者との見方が広まっている中西進氏〈89)が14日、館長を務める高志の国文学館(富山市)に設けられた新元号の記念コーナーで解説会を開いた。「(考案者は)私ではないのですよ」と明言は避けたが、「誰かがもし考えたとしても、それは粘土細工の粘土を出しただけ。それを加工して(新元号を)つくるのは、おそらく神や天と呼ばれる人なんでしょう」と独特の表現で語った。

 解説会では、雪月花を詠んだ大伴家持の歌と、歌をモチーフにした日本画を解説。「三つが一緒になって美の極致。生命の生きる喜びが万葉集の大事な原点」と新元号の典拠を評し、「令和という時代になることを、喜んで国民の一人として迎えたい」と結んだ。(北陸中日新聞、2019.4.16)


 〇 「令和」で注目 万葉集 今に通じる暮らしの苦楽

 新元号「令和」の出典として注目される万葉集。千三百年も前の歌集だが、盛り込まれた約四千五百首の歌の中には「食」や「家族」など、普段、この生活面で扱っているテーマと共通する題材を詠んだものも多い。三つのテーマごとに味わい方を聞いた。 (山本真嗣)

 ◆「食」 飲み食べ、人生楽しむ

 醤酢(ひしほす)に 蒜搗(ひるつ)き合(か)てて 鯛(たひ)願ふ 我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの) (もろみに酢、蒜をすりあわせて加えた鯛が食べたい。安い水葵のスープは見せてほしくない)

 歌人の長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が宴会の席で詠んだとされる。万葉集を現在の生活と結びつけて研究する奈良大の上野誠教授(58)によると、醤は大豆の発酵食品、蒜はノビルやニンニクなどを指す。二十年以上前、講演で訪れた大阪府内のホテルの料理長に、歌を基に想像で作ってもらった鯛の薄造りを食べたところ「とてもおいしかった」と話す。

 天皇、貴族から庶民まで幅広い階層の人が詠んだ歌を収めた万葉集には、暮らしの情報があふれている。他の時代の歌集に比べ、酒や食を題材にしたものも多い。上野教授は「宴席で作られることが多かったからでは」と推測。「当時の人が、飲んだり食べたりを含め、人生を肯定し、楽しんでいたことが伝わる」と話す。

 ◆「シニア」 年重ねることを肯定

 冬過ぎて 春し来(きた)れば 年月(としつき)は 新(あら)たなれども 人は古(ふ)り行く (冬が過ぎ、春が来ると、年月は新しくなるが、人は古くなっていく)

 作者不詳で、上野教授によると、年が新しくなることを喜びながら、人が老いるのを嘆く歌。「人は老いていく時間だけでは行き詰まる。生きていくためには、巡る季節のように循環する時間も必要」と説明。「元号も新しくなって元年に戻る」と話す。

 この歌の後に、やはり作者不詳で、次の歌が続く。

 物皆(ものみな)は 新(あらた)しき良し ただしくも 人は古りにし 宜しかるべし (物は新しい方がいいが、人は年を取った方がいい)

 年を取ると経験が増して世界が広がる。上野教授は「二つの歌で一つのメッセージ。若いことは素晴らしいが、老いることもいいよ、と。人生を肯定する万葉集の世界観」と話す。

 ◆「働く」 地方赴任 募るわびしさ

 馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の 清き磯廻(いそみ)に 寄する波見に (馬を並べてさあ行こう。渋谿の清らかな磯辺に寄せる波を見に)

 作者は万葉集の編者ともされる大伴家持(おおとものやかもち)。「令和」の引用元になった「梅花の宴」を催した大伴旅人(たびと)の息子だ。七四六年、越中の国守として今の富山県高岡市に赴いた際、宴席で部下らを前に詠んだとみられる。

 「渋谿」は同市北部にある現在の雨晴(あまはらし)海岸のこと。富山湾越しに立山連峰を望める景勝地だ。山口大の吉村誠教授(64)は「国守として治める初めての地で、地元を知り、溶け込もうと気を張っていたのでは」と話す。一方、家持は在任中の五年間で都を思う望郷の歌をいくつも作った。着任当初は気合が入るが、長くなるとわびしさも覚える現代のサラリーマンと重なる。

 万葉集をテーマにした専門施設、市万葉歴史館学芸課長の新谷秀夫さん(55)によると、家持は越中にいる間、四季折々の風物を詠んだ。万葉集に出てくる地名は、都のあった近畿以外では富山県が最多という。「新元号を機に足を運んで」と呼び掛ける。

 *「醤酢に-」「冬過ぎて-」「物皆は-」の現代語訳は上野誠教授、「馬並めて-」は吉村誠教授 (北陸中日新聞、2019.4.12)

 〇 令和と能登 家持の縁 巡礼時に歌、足跡知って 

 新元号「令和」の典拠になった万葉集を編さんしたとされる奈良時代の歌人大伴家持(おおとものやかもち)は、国守として越中国に赴任した際、管轄する石川県能登地方を視察していた。その時に詠んだ歌は歌碑として能登各地に残る。国府があった富山県内で関連の特別展など盛り上がりを見せる中、研究者は「能登での足跡も知ってほしい」と期待を寄せる。

 

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 家持は越中国守として、七四六年に現在の富山県高岡市伏木にあった国府に赴任した。七四八年に能登を巡行。富山県の氷見から山を越え、能登を巡ったと伝えられる。

「残した歌から当時の歴史的背景が分かる」。家持の能登巡行を長年研究している元石川県立図書館長の村井加代子さん(74)=金沢市=はそう話す。

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大伴家持が視察時に能登島を詠んだ歌の歌碑、能登島曲町、七尾市、石川県

 家持は巡行時に歌五首を残した。石川県七尾市の能登島を詠んだ歌((1))では、島で船の材料にする木を切っていたことが詠まれている。七尾湾はかつて、大和朝廷による蝦夷(現在の関東以北)討伐の拠点で軍港の役割があったという。

 家持ではないが、七尾市中島町で庶民が詠んだとされる歌には当時使われていたとみられる「新羅斧(おの)」「熊来(熊木)」という言葉が出てくる。家持もわざわざここを訪れて歌を残している((2))ことから、村井さんは「能登島で切った木を使って、(中島町の)熊木で船を造っていたと考えられる」と話す。

 家持は同県輪島市門前町の仁岸川も訪れた((3))。周辺は当時、鉄鉱石の産地で、家持は農具に必要な鉄の生産に重要な鉱山地を巡ったと考えられるという。「造船や鉄鉱産地を巡り、越中国の重要地を把握する視察だった」と、村井さんは解説する。

 万葉集は、高位の人から庶民までが詠んだ歌が収録されているのが特徴。能登の歌にも、庶民が詠んだとされる三首が残る。村井さんは「万葉集は庶民の息遣いが感じられる」として、「新元号で万葉集に注目が集まる中、能登でも歴史や文化を再考する機会にしてほしい」と願っている。(北陸中日新聞、2019.4.20)



 

 

 

 

 

 

2019年3月13日 (水)

お水取り(3月12日)、大きな籠たいまつ、大和路にも春が来る! 東大寺二月堂の修二会行事の一つ、とは(2019.3.13)

 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、本尊の十一面観音菩薩に、僧が自からの罪を、人々に代わって一年の罪を、ひたすら懺悔し、国家の平和を祈る伝統行事。奈良時代から1260年以上もの間、1度も途絶えることなく続けられてきた。

 昨日(3月12日)夜、修二会行事の一つ、、堂前の若狭井(わかさい)の水を汲み、加持し、その香水を二月堂の本尊に供える、お水取りの名の儀式があり、ひときわ大きな籠たいまつ(長さ約8m、重さ約60kg)が登場した。

 午後7時半ごろ、連行衆(修行僧)が入堂のとき、籠たいまつを担ぐ童子が先導し、燃えるたいまつを欄干から突き出すと、参拝客らはどよめき、炎でお堂が赤く染まった。お水取りが終わると、大和路にも春がくる、と語り継がれている。

〇 お水取り

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お水取り、豪快な炎を上げる籠たいまつ、3月12日夜、東大寺二月堂、奈良市雑司町、奈良県、北陸中日新聞、2019.3.13

(解説) たいまつは、修行僧(練行衆)の足元を照らすもの(道明かり!)で、毎晩(3月1日~14日)、複数のたいまつが灯される。が、大きな籠たいまつは、12日のみ使用され、舞台から突き出されると、燃え盛る炎と舞い散る火の粉に、約1万人の参拝客が歓声を上げた。

(動画)  日テレNEWS24 

 奈良 東大寺で「お水取り」 2019.3.13 8:28 放送
http://www.news24.jp/nnn/news16223148.html


〇 東大寺の修二会は、若狭神宮寺に渡ってきたインド僧の実忠和尚が、のち東大寺二月堂を建立し、大仏開眼2ヶ月前から創始した、火と水の祭典の神事! 歴史的に深い意味があるようです!
  東大寺の修二会は、大仏開眼2ヶ月前から始まり、当時、大仏は鍍金(金アマルガム!)されていたという。大きな籠たいまつを振りながら走る行法は、差し迫った大仏開眼供養に間に合わせるため、大仏の頭部だけを急いで鍍金した様子を表しているともいう。
  また、水銀は水ガネとも呼ばれ、お水取りは金アマルガムから水銀を抜くこと(水銀取り!)との説もあります。お水取り行事に達陀(だったん)の儀式がありますが、これはたいまつの火による脱丹(水銀を焼き飛ばす)を表しているという。

(Link)

 〇 お水取り(3月12日)、東大寺二月堂のご本尊に若狭井の清水を供える法会、とは(2018.3.15): http://kanazawa-carfur.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/312-2018315-192.html

2019年3月 4日 (月)

お水送り(3月2日)、早春の風物詩! 福井の若狭地方から奈良の東大寺に香水を送る伝統行事 (2019.3.4)

 一昨日(3月2日)夜、早春の風物詩!奈良の東大寺二月堂の修二会のお水取りに合わせて、春の訪れを告げる、若狭地方から香水を送る伝統行事のお水送りが、福井県小浜市の神宮寺と遠敷川で行われた。

 若狭神宮寺で神事が行われた後、ほら貝を吹き鳴らし、白装束の僧侶を先頭にたいまつを手にした参拝者らが、約2㎞上流の遠敷川の鵜の瀬に着くと、住職が東大寺に水を送る言われを記した送水文を読み上げた。

 そして、竹筒に入れて運んできた香水と呼ばれる神宮寺の井戸の水をゆっくりと川に注いだ。この水は地下を通って、10日かけて東大寺二月堂の若狭井に湧き出るとされ、13日未明のお水取りで汲み上げられる。

〇 お水送り

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お水送り、遠敷川にお香水を注ぐ僧侶、3月2日夜、小浜市下根来、福井県、北陸中日新聞 2019.3.3

 多くの観光客らが、たいまつ行列や護摩の炎が水面みなもを照らす幻想的な雰囲気を味わった。

(動画) NHK NEWS WEB(福井 NEWS WEB)

小浜 春告げる伝統「お水送り」 2019.3.3  15.41 放送

https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukui/20190303/3050001607.html


(Link)

 〇 お水送り(3月2日)、若狭地方から東大寺に清水を送る神事、とは(2018.3.12): http://kanazawa-carfur.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-dd5e.html

(追加説明)

 〇 東大寺の修二会は、若狭神宮寺に渡ってきたインド僧の実忠和尚が、のち東大寺二月堂を建立し、大仏開眼2ヶ月前から創始した、火と水の祭典の神事! 歴史的に深い意味があるようです!

2019年1月16日 (水)

左義長祭、どんど焼き、小正月(1月15日)、年神を送る火祭りの行事! 白山比咩神社、白山市、石川県 (2019.1.16)

  昨日、小正月の15日、白山比咩神社では、午前10時、神社神殿で「左義長祭」(年神を送る火祭り行事!)が営まれた。拝殿では、舞女二人が神楽、剣の舞(里神楽!)を奉納した。 祈祷や祭典で舞うのは浪速神楽!

 

 左義長(三毬杖とも)祭終了後、青竹の櫓に積み上げた「どんど」の火入れ神事があり、午後2時まで、正月飾りや書き初め、古いお札、お守りなどが焚き上げられ(どんど焼き!)、今年1年の無病息災を祈った。  

 

 昔は農耕社会で、「どんど焼き」は、もと民間の風習として、田んぼで行われ、五穀豊穣を祈った。が、近年、野焼きの規制により、神社が営む神札や神棚の焚き上げに組み込まれた。

 

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左義長祭、炎を上げて燃える「どんど」の光景、白山比咩神社、白山市三宮町、石川県、北陸中日新聞、2019.1.15

 

(動画) 左義長祭り、どんど焼き、白山比咩神社、 (一里野高原ホテル ろあん)、白山市、石川県 : https://youtu.be/Q_3Cmwr9zEg

 

(解説) 北参道駐車場に青竹8本を組み合わせたやぐらを組み、正月飾りなどを積み上げてこもで巻き、高さ約10m、直径6mの「どんど」を作った。古式にのっとり神職が火きりろくろでおこした忌火をたいまつに移し、地元の鶴来、北辰両中学校の生徒7人がたいまつで点火した。

 

 どんどは激しく燃え上がり、時折「ポン」と青竹がはぜる音が響いた。空に舞い上がる赤い炎を参拝客らが見つめていた。どんどの火は16日朝までくすぶり続けるという。(北陸中日新聞、2019.1.16)

 

(Link)

 

 〇 白山さん(白山比咩神社)で左義長祭、小正月(1月15日、年神を送る行事)の火祭り、どんど焼き、とは(2016,1,19): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/115-7f38.html 

 

 〇 どんど焼き、小正月(1月15日)、白山比咩神社、雪中の水汲み、杉森地蔵水、白山市、石川県 (2017.1.18): http://kanazawa-kuratuki.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/152017118-6565.html

 

(追加資料)

 〇 ご結婚60年 祝う浦安の舞 白山比咩神社 2019.4.10

  天皇、皇后両陛下が結婚60年を迎えられた4月10日、白山市三宮町の白山比咩神社で奉祝祭があり、氏子総代ら4人が参列した。
 村山和臣宮司が祝辞を奏上した後、舞女2人が神楽「浦安の舞」を奉納。参列者は節目を祝いながら、国の安泰などを願った。(北陸中日新聞、2019.4.11)

 

2019年1月 9日 (水)

七草がゆ(1月7日)、七草健康祈願祭、今年一年の無病息災を祈る! 尾山神社、金沢市、石川県(2019.1.9)

 七草がゆの風習は、金沢では加賀藩の3代藩主前田利常の頃から続く伝統行事。一昨日(1月7日)、加賀藩祖前田利家をまつる尾山神社で、七草がゆを味わい、今年一年の無事を祈る「七草健康祈願祭」があった。祈願祭は2016年(平成28年)から前田家に代わって神社が主催。

 拝殿には、セリやナズナなど七草のほか、米、酒、水を供え、加藤治樹宮司が祝詞を奏上、みこが舞を奉納した。その後、前田家18代当主の利祐(としやす)さんが玉串を捧げた。神事に参列した人たちは、七草がゆを食べながら今年一年、健やかに暮らせるようにと祈願した。

201917

尾山神社、七草健康祈願祭、拝殿で加藤治樹宮司が祝司を奏上、今年一年の無病息災を祈る! 金沢市、石川県、北陸中日新聞、 2019.1.7、 尾山神社(金沢市):http://www.oyama-jinja.or.jp/

 七草は、今年一年を平和に健康で暮らせるようにと、邪気を払うとされる7種類の野草が入った「七草がゆ」を食べる風習で、平安時代初期に中国から伝わったとされる。

(動画)  無病息災願う「七草健康祈願祭」(MROニュース、2019.1.7):
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190107-00010004-mrov-l17

(Link)

 〇 七草がゆ(1月7日)、中国と日本の正月の行事、江戸時代、加賀藩では、第3代藩主前田利常の頃から、一年の無病息災を願う行事として、正月7日に催されていた、神前での七草の調理(尾山神社、金沢市)、とは(2015.1.8): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-5a23.html

 〇 七草がゆ(1月7日)正月7日、無病息災を願う行事、金沢の近江町市場で買い物客らに振る舞い、とは(2016.1.8): http://app.f.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post

2019年1月 7日 (月)

小寒〈1月6日)、寒の入り! 厳しい寒さの中、大乗寺で「寒行托鉢」、団子まき、金沢市、石川県、とは(2019.1.7)

 二十四節気の一つ、小寒(1月6日)、寒の入りの昨日、県内は最低気温が輪島市三井で氷点下1.5℃、金沢で0.7℃を観測するなど、各地で厳しい冷え込みとなった。こうした中、金沢市長坂町の大乗寺(曹洞宗)の修行僧による「寒行托鉢(かんぎょうたくはつ)」が始まった。

 寒行托鉢は、「寒の入り」から「節分」までの寒中の1ヶ月間の行。修行僧は鈴を鳴らしながら、一日の休みもなく、金沢市内の民家や商店の前で立ち止まり、家々の戸口で読経して歩く。

 大乗寺の修行僧たちが、禅宗古来の衣に、素足に白いわらじを履き、網代傘で歩く姿は、金沢の冬の風物誌として親しまれる光景。住民らは、読経の声が聞こえると玄関先に出て、僧侶に手を合わせながらお布施を渡した。

201916

寒行托鉢、大乗寺(曹洞宗)、金沢市長坂、石川県、北陸中日新聞、2019.1.6

 午前9時、金沢市内の気温は2.2℃。ときおり小雪がちらつく寒さの中、僧侶6人が山門を出発した。 大乗寺(東香山、曹洞宗): http://www.daijoji.or.jp/index.html

(動画) 〇  厳しい中 金沢市で「寒行托鉢」(日テレNEWS, 2019.1.6):http://www.news24.jp/nnn/news16331931.html

(Link)

 〇 大乗寺丘陵公園、その中腹の遊歩道から、眼下に広がる金沢市や野々市町の街並み、また、鞍月の石川県庁、金沢駅近くのポルテ金沢、はるか遠くの日本海を遠望、とは(2014.10.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-d5f6.html

(追加資料)

〇 大乗寺、涅槃会、団子まき        2019.2.14

 釈迦(しゃか)の遺徳をしのぶ法要「涅槃会(ねはんえ)」が2月14日、金沢市長坂町の大乗寺で開かれ、法要後に恒例の「だんごまき」があった。だんごは直径2㎝ほどで、白、赤、黄、緑など色とりどり。本堂を埋めた参拝客たちは袋を広げたり、手を伸ばしたりして集めた。

 だんごは釈迦の遺骨を模しており、無病息災の御利益があるとされる。大乗寺では、托鉢(たくはつ)で得た米からできた米粉を使い、食紅で色付けしている。11~13日、檀信徒と修行僧計50人で作った。(北陸中日新聞、2019.2.15)

大乗寺 お釈迦様を偲ぶ法要 団子まき無病息災願う 2019.2.14放送     

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