カテゴリー「● 絵画(中川一政、宮本三郎、明治以降の画家(90歳超、14人)、俵屋宗達、伊藤若冲、長沢芦雪)」の5件の記事

2019年1月18日 (金)

企画展、それから~宮本三郎の挑戦~、宮本三郎のアトリエにようこそ! 小松市、石川県 (2019.1.18)

 宮本三郎(1905~1974)は、小松市(石川県)出身の洋画家で、色彩豊かな油絵や水彩画のほか、雑誌や新聞小説の挿絵、戦時中は戦争画も手がけた。 

 企画展は、主に戦後の作品(37点)や画材に焦点を当て、それから~宮本自身の作風が確立して行く過程をたどる! 宮本三郎美術館(小馬出町)と分館 宮本三郎ふるさと館(松崎町)で開催中、いずれも3月10日まで。

〇 美術館の企画展

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歓喜(タイの踊り子二人)、1965年(昭和40年)、小松市立宮本三郎美術館蔵

 「歓喜」は、1964年(昭和39年)の東京五輪の翌年に描いた。日本を訪れたタイの踊り子二人を、金色や赤色を基調に躍動感あるタッチで表現している。

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浴女(長い髪に手を添えてたたずむ裸婦)、1969年(昭和44年)、個人蔵

 「浴女」は、1969年(昭和44年)の長い髪に手を添えてたたずむ作品は、個人蔵のため展示するのは珍しいという。

 宮本が絵付けした焼き物10点のほか、絵の参考にしたフランスの画家ルノワールやモネの作品集も並べた。

〇 分館 ふるさと館の企画展

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婦女三容(ふじょさんよう)、1935年(昭和10年)、小松市立宮本三郎美術館蔵

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宮本三郎が使った家具などが並んだ会場、北陸中日新聞、2019.1.16

 使い込んだ筆やパレットのほか、ネクタイやソファ、タンスなどが並び、宮本の生活の様子が浮かぶ。

 美術館の中川茂美学芸員〈25)は「宮本は欧州で絵画を研究したり、とても勉強家だった。他の画家から学び、自分流にアレンジしていった過程をみて欲しい」と話している。(北陸中日新聞、2019.1.16)

(Link)

〇 小松市立宮本三郎美術館(ホームページ、小松市):http://www.kcm.gr.jp/miyamotosaburo/

2019年1月14日 (月)

企画展、愉しきかな ! 人生、老当益壮(老いてますます盛ん)の画人たち、富山県水墨美術館、富山市五福、富山県(2019,1.14)

 高齢化社会を迎え、明治以降の画家14人に焦点を当てた企画展、「愉(たの)しきかな!人生、老当益壮(老いてますます盛ん)の画人たち」が1月11日、富山市五福の富山県水墨美術館で開幕した。

 90歳を超えてなお表現の境地を切り開こうとした画家たち、日本画、洋画の故人12人、現役2人の代表作や最晩年の作品、計68点が並ぶ。これらの作品を前にすると、画家たちの絵と向き合うひたむきな姿勢(生きる力!)から、生きることは喜びなのだ! と教えられる。

 主催は、北陸中日新聞、富山テレビ放送、富山県水墨美術館。開催は、2019年(平成31年)1月11日(金曜)-2月17日(日曜)。

〇 片岡球子(1905~2008年、103歳)

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片岡球子、めでたき富士(御殿場にて)、 1991(平成3)年[86歳]

昭和から平成時代にかけ、亡くなる103歳まで活躍した日本画家。

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片岡球子、面構 歌川広重、2003(平成15)年[98歳] 

片岡球子の代表作としてすぐに思い浮かぶのは、愉快な富士山か、本作のような面構(つらがまえ)シリーズである。人生の節目を迎えた61歳の年に「一生描ける題材を探そうと思って」「日本を代表する男性」をテーマにした面構シリーズを描き始めた。

家康や秀吉といった天下人に始まって、北斎や豊国といった浮世絵師、雪舟や一休などの画僧にも遡り、歴史を作った日本の男たちの個性豊かな肖像画を描き続けた。

本作は、歌川広重が「不二三十六景、武蔵野」の前に座し、顔はこちらに向けているが、その目は描きかけの自作に向けられている。これからこの絵をどうするか、といった画家の心理描写を試みた作品である。

〇 富岡鉄斎(1836~1924年、89歳)

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富岡鉄斎、瀛洲仙境図、1923(大正12)年[88歳]、碧南市藤井達吉現代美術館蔵

大和絵から南画(文人画とも)に進み、高逸な画風で新生面をひらいた。

〇 大森運夫(1917~2016年、99歳)

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大森運夫(かずお)、浄瑠璃人形頌、1995(平成7)年[78歳]、愛知県碧南市藤井達吉現代美術館蔵

広島高等師範学校を病気中退し、郷里で国語教師として教鞭をとったが、33歳の頃、新進の日本画家、中村正義と出会い、影響を受けて日本画をはじめ、さまざまな困難を乗り越え、力強く画業を築き上げた。

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大森運夫、大原女、2011(平成23)年[94歳]、愛知県碧南市藤井達吉現代美術館蔵

最晩年の作であり、大原女が座る姿を向かって斜め右から捉えている。真っすぐに前を見据える女性の表情や眼差し、凛とした佇まいは女性の精神性や感情の機微をも伝えるようである。一貫して人間の内面性を描き出そうとした大森が、94歳にしてなお精力的に画業、自身のテーマに打ち込んでいたことを窺わせる。

〇 堀文子(1918年~、100歳)

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堀文子、名もなき草達、2015(平成27)年[97歳]、名都美術館蔵

堀は庭の一角に手を入れない雑草園をつくり、ひっそりと育つ草花の生命力を描き続ける。草花たちは「名もなきもの」と呼ばれる。こうした植物もまた、自らに「どう生きるか」を問い続ける作家にとって指標のひとつとなっているのであろう。

世界の原初的な芸術や草花に生命力を見いだした堀文子さんは、昨年100歳を迎えたが、今も現役。

日本画家の堀文子さんが死去 (2019.2.5 ) 絵本でも人気、100歳  

2019/2/7 17:55                      

                                                                    

                                                          

 死去した堀文子さん                              

 素朴で柔らかな色彩の花鳥画のほか絵本でも親しまれた日本画家の堀文子(ほり・ふみこ)さんが、5日午前0時56分、心不全のため神奈川県平塚市の病院で死去した。100歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く。 (北陸中日新聞、2019.2.7)

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〇 猪熊弦一郎(1902~1993年、90歳)

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猪熊弦一郎、飛ぶ日のよろこび、1993(平成5)年[90歳]、香川県丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵

猪熊弦一郎が90歳で逝去した年に発表された「顔」シリーズの一点。マス目状の枠内に規則正しく顔が並ぶ光景は曼荼羅(まんだら)のようであり、羽を広げたり、穏やかに目を閉じたりする鳥の一群は、開放感を感じさせる。

配置の妙による動と静の表現や、白い背景に赤や緑、黄、青、紫といった色彩が引き立つ本作は、生への祈りと生きる喜びを伝える。

明快な色彩と点と線による画面構成が特徴の独自の表現を確立、戦後を代表する抽象表現作家の一人である。

〇 杉本健吉(1905~2004年、98歳)

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杉本健吉、自画像(マスク)、2000(平成12)年[95歳]、愛知県美浜町、杉本美術館蔵

自画像は、杉本健吉が晩年に意欲的に取り組んだ仕事の一つである。この頃の自画像作品の特徴は、自身の姿が画室等の室内空間や景色とともに描かれるところにある。

本作の画面半分以上を占める壁画の多種多様な仮面は、陶や身近な素材で自身が制作したものであろう。片手に持つ仮面越しに描かれ、華やかな背景に相反してモノクロームで表現した無表情にも見える自身の姿は、晩年になっても独自の視点で社会や己を見つめ続けた杉本の制作姿勢をうかがわせる。

食事と風呂以外はいつもデッサンしていた。最後の最後まで絵を描いていたという。

〇 秋野不矩(1908~2001年、93歳)

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秋野不矩、白い扉、1984年(昭和59年)[76歳]、浜松市秋野不矩美術館蔵

本作は、秋野が74歳のとき、5回目のインドへの旅で訪れたビシュヌプールにあるテラコッタ寺院の回廊の扉から構成された作品。内部にはビシュヌやシバの神が祀られている。京都市立芸術大からインドに出向いて当地の大学で絵を教えることになった、54歳のときのインドとの邂逅が運命ともなっている。

長い年月、容赦ない日差しと乾燥によってところどころ漆喰が剥げ、赤い地肌が見えているのが美しいと感じたという。秋野は、その生涯の最後までインドを求め続け、15回目のインド旅行を計画する中、93歳で急逝した。

〇 野見山暁治(1920年~、98歳)

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野見山暁治、何食わぬ景色、2018(平成30)年[97歳] 、写真提供:野見山暁治財団

今も制作に打ち込む野見山暁治さん(98)は、この企画展のため躍動感ある新作「なに食わぬ景色」を出品した。まるで赤い竜巻が迫ってくるようで、色と形と線が噴出し、激しいエネルギーに圧倒された、完成間近の作品が、1ヵ月後に全く違う絵になっていた。それこそ、なに食わぬ顔で変貌を遂げていた。常に絵は動き、進歩している!立山に登って作品となった「みくりが池」にも同じ姿が見られる。

27年前、九州の海に臨む野見山氏のアトリエが台風に襲われ、自然の猛威を眼前で目撃したという。以降、空、海、山、地面がせめぎ合い、自然に内在する得体のしれない力への畏怖を映し出すような抽象画を描き続けている。御年98歳。人柄は飄々と自然体で、エッセイストとしても多くの人を魅了し続けている。

〇 奥村土牛(1889~1990年、101歳)

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奥村土牛、犢(こうし)、1923(大正12)年[34歳]、岐阜県美術館蔵

奥村土牛は34歳で描いたこの作品について、「振り返ってみると、私は人物でも動物でも花でも、すべて「これから」という若さを感じたものを作品の題材に選ぶことが多い。これもその一つで犢(こうし)で描いてみたいと思って描いたものである」と述べている。幼少時から病弱で、大器晩成と評された土牛の最初期の作品に位置付けられる。

現代日本画壇の重鎮として、101歳の天寿を全うした。終生「絵だけに生き、絵以外の人生の雑事にはまったく関心のない」生き方を貫いた。

「絵は精神です」という言葉を体現した人生。晩年に開催された回顧展にも次々と新作を発表するなど、常に新たなもの求める姿勢を崩さず、多くの人々の共感を集めて感動を与え続けた。

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奥村土牛、平成の富士、1990(平成2)年[101歳]、後藤康雄氏蔵

刷毛(はけ)で胡粉(ごぶん、貝がらを焼いて作った白色の顔料)などを数百回とも塗り重ね、非常に微妙な色加減に成功した作品が特徴とされる。

うまい絵、上手な絵というのがあるが、土牛はうまいさっかではない。しかし、土牛は一点の曇りも、迷いもなく描く、と。101歳で描いた「平成の富士」についても「本来はこんなふうに富士は見えないはず。でも、土牛は全くの迷いもなく霊峰富士を描く。清らかなにごりのない気持ちで描く。うまい下手でなく、どう感じるのか、どう受け止めるかということで見てほしい」。

〇 中川一政(1893~1991年、97歳)

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中川一政、新劇女優、1941(昭和16)ごろ[48歳]、一政記念美術館蔵

中川一政の作風は、激しいデフォルメ、厚塗りで荒々しい筆致、強い色彩を特徴とする。対象を心眼でとらえ、そこから得た感動を直截(ちょくさい)に表現するのが画家の仕事であると思い至り、独自の作風を掴(つか)みとるのは1940年代半ば、一政が40代半ば以降のことである。

本作は、まさにそうした表現に至らんとする時期。一政48歳のときに描いた人物がで、モデルは女優の岸輝子である。岸の夫は一政の義弟で俳優の千田是也であり、当時、新劇の弾圧により拘留されていた千田の面会の合間にモデルを務めた。

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中川一政、向日葵、1973(昭和48)ごろ[80歳ごろ]、白山市立松任中川一政記念美術館蔵

石川県白山市ゆかりの中川一政は、バラやヒマワリを飽くことなく力強い筆致で描き続けた。

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中川一政、チューリップ、1985(昭和60)年[92歳]、真鶴町立中川一政美術館蔵

〇 筧忠治(1908~2004年、96歳)

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筧忠治、自画像(絶筆)、2003(平成15)年[95歳]、愛知県一宮市博物館蔵

愛知県一宮市生れの筧忠治は、同県測候所(現名古屋気象台)に務めながら独学で油彩画を描き始めた。自画像や猫を題材に描き続けるが、多くが退職後の発表だった。

十代から最晩年にいたるまで自画像を描き続け、後に「自画像の画家」と証される。49歳の頃にその表現の完成をみて制作に区切りをつけるが、80歳を過ぎてから再び自画像に取り組んだ。

本作は筧がなくなる前年、入院中の病室にて描かれた絶筆の自画像である。左下に日付けとサインはあるが、顔の半分は故意に消された形跡があり、一見すると未完のように思わせる。顔の左半分が描かれていないが、「本人には見えてていたつもりだったよう。」

若かりし頃と同様に仁王像のような表情を浮かべる95歳の筧は、病中の自分自身を叱咤激励しているようにも見える。最晩年に脳に腫瘍ができて片方の目が見えなくなっても、最後まで描き続けようとした。

〇 郷倉和子(1914~2016年、101歳)

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郷倉和子、ふるさとの万葉、2011(平成23)年[97歳]、高志の国文学館蔵

郷倉和子は、日本画家の郷倉先靱(せんじん)の長女として生まれた。少女時代から父の画塾に出て絵を描き、女子美術専門学校では父の名を汚さぬよう首席で卒業した努力家だった。

本作は、富山市にある高志の国文館の開館記念展のため依頼され、大伴家持の万葉歌「わが園の李(すもも)の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも」のイメージから構想した作品。奈良県明日香村を訪れた際のスケッチを基にして、父の故郷である富山県小杉町(現富山県射水市)の風景を懐かしく思い出して描いたのだという。

〇 岩崎巴人(1917年~2010年、92歳)

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岩崎巴人、わが母の像、2008平成20)[91歳]、富山県水墨美術館蔵

巴人の母は92歳で亡くなった。母の死の翌年に田村たけと結婚。その翌年に日本表現派も離脱した。その後、妻とインド仏跡巡礼へと旅立つなど、母の没後に大きな出来事が矢継ぎ早に起きた。

母をガッシュで描いた本作からは、表現派設立の頃を彷彿とさせるエネルギッシュな印象を受ける。母の没年齢に近づき、自身の人生を振り返りつつ描いたのかも知れない。

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岩崎巴人、老子、1996(平成8)[79歳]、富山県水墨美術館蔵

禅林寺(浄土宗、京都)で出家し、絵描と求道の精神を一体化させ、日本画の分野で独自の展開を繰り広げた。

〇 90代画家 創作の源泉は  美術館長2人 対談イベント

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北陸中日新聞 2019.1.28

愉しきかな!人生、枯れないエネルギー(対談):http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201902/CK2019020202000215.html

柳原正樹(京都国立近代美術館館長)さんは、今回の14人の出品作家に共通することとして、日本ではよく「年齢とともに味が出る」「新しい極みに達した」「枯れてきた」などというが、それはうそで、エネルギーがなくなっただけ。今回の出品作家は違う。晩年になっても次なるものを求めている姿勢がある。高齢になっても興味、関心、うせることがない感動こそが創作の原点、いつまでもエネルギッシュ、と話した。

木本文平(愛知県碧南市藤井達吉現代美術館館長)さんは、美術館がこどものための企画やワークショップをやっているが、高齢者向けの展覧会はこれまでなかった。先に開催した碧南市の感想ノートを見ると、「明日を生きる目標、生き抜く示唆みたいなものをもらった。もうひと踏ん張りしたい」という感想をもらった、と紹介した。

(Link)

〇 富山県水墨美術館(ホームページ、富山市五福):http://www.pref.toyama.jp/branches/3044/3044.htm

企画展、老いて彩る、愉しきかな!人生 老当益壮の画人たち、富山県水墨美術館 きょう開幕 1.11~2.17 (北陸中日新聞、2019.1.11) 

出展作家は、著名な上記8人ほか、熊谷守一(1880~1977年、97歳)、猪熊弦一郎(1902~1993年、90歳)、杉本健吉(1905~2004年、98歳)、秋野不矩(1908~2001年、93歳)、筧忠治(1908~2004年、96歳)、郷倉和子(1914~2016年、101歳)たち6人、計14人(カッコ内は没年齢と現年齢)

〇 熊谷守一、簡素な形態と明るい色彩の画風、没後40年、生きるよろこび回顧展(東京国立近代美術館)、代表作、とは(2018.1.23): http://kanazawa-kuratuki.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/402018122-7814.html

 

 

2018年10月31日 (水)

奇想画家、伊藤若冲「梔子雄鶏図」昨年90年ぶり確認、長沢芦雪「猿猴弄柿図」約100年ぶり確認(10月29日)、東京都美術館、とは(2018.10.31)

 東京都美術館は10月29日、江戸中期の画家、伊藤若冲(1716~1800)の「梔子雄鶏(くちなしゆうけい)図」を、昨年90年ぶりに確認と発表した。

 また、円山応挙(1733~1795)門下の画家、長沢芦雪(1754~1799)の「猿猴弄柿(えんこうろうし)図」も約100年ぶりに確認した。

いずれも個人蔵で、所有者や、見つかった経緯は明らかにしていない。両作とも来年2月から同美術館の「奇想の系譜展」で初公開される。(共同通信)

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伊藤若冲「梔子雄鶏図」、縦85.8㎝、横43.1㎝、絹本着色、東京都美術館、共同通信、2018.10.29

(解説) 地面をついばむ雄鶏とクチナシの木を描いた柔らかい色彩の作品である。若冲は、精緻な描写の濃彩画と略筆の水墨画に作風が分れるが、特に鶏の絵で名高い。この絵は試行錯誤していた30代の若冲の特質が出ているという。

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長沢芦雪「猿猴弄柿図」、縦104㎝、横37.7㎝、絹本着色、東京都美術館、共同通信、2018.10.29

(解説) 岩の上で柿を抱え込むサルの足元に木によじ登る子ザルが描かれている。芦雪は、人の意表をつく誇張的で、サルの顔の表情にも見られるように、時にユーモラスな表現を持ち味とする。
 
(Link)

 〇 伊藤若冲、雪中の名作、動植綵絵(雪中雄鶏図、雪中鴛鴦図、雪中錦鶏図)、代表作、仙人掌群鶏図襖、名作誕生ーつながる日本美術、とは(2018.1.18): http://kanazawa-kuratuki.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-79fb.html
 

2018年4月13日 (金)

俵屋宗達、江戸初期の町絵師、国宝、絵巻、「風神雷神図屏風」、扇絵、「扇面散屏風」、国華、とは(2018.4.13)

 日本美術史上に「名作」とたたえられる作品は、どのように誕生したのか―、創刊記念「(こっか)130周年、朝日新聞140周年、特別展名作誕生-つながる日本美術が、今日から 東京国立博物館(上野、東京)で開催される。 期間は、2018年4月13日(金) ~ 5月27日(日)、 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1889

 俵屋宗達(たわらやそうたつ、生没年不詳)の創作の源について、絵巻、「平治物語」「西行物語」などの古典を題材に、扇面(せんめん)に描いた扇絵に注目。人物などの姿を大胆に切り貼りして独自の画面を構成したプロセスを読み解いている。 

 ここでは、ともに国宝の代表作、絵巻国宝「風神雷神図屏風」、扇絵、「扇面散屏風」を紹介した。

〇 俵屋宗達

 安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した町絵師で、絵屋(扇絵や巻物、色紙等を制作する工房)を営むかたわら、「伊勢物語」や「西行物語」など、古典文学を主題とした絵画を多く描いた。

 宗達の屋号は俵屋といい、法橋になって対青軒・伊年などの印章を用いた。1630年(寛永7年)の「西行物語絵巻」が年代の明らかな唯一の作品で、この時は法橋であった。後継者俵屋宗雪(たわらや そうせつ、生没年不詳)が加賀藩前田家の御用を代表して勤めた1642年(寛永19年)以前に没したと推定される。

 宗達は、弟子と共に自らも作画し、慶長から寛永年間(1596~1644)に、斬新な機知に富んだ構図と、明るくおおらかな表現を特色とする独自の画風を展開、古典大和絵様式の創造的復興をなしとげた。牧谿(もっけい、生没年不詳、宋末元初の僧、中国)風の水墨画にも新生面を開いた。 

 「四季草花下絵和歌巻」等巻物、本阿弥光悦(1558~1637)の書に下絵を提供した金銀泥絵、物語絵を主とする濃彩の「扇面散図屏風」等の扇面図、溜込(たらしこみ)の技法を効果的に生かした水墨画のほか、「(源氏物語)関谷澪標(おみつくし)図屏風」「舞楽図屏風」「風神雷神図屏風」等伝統的画題を自由な解釈によって再構成した障屏画の傑作がある。 

〇 風神雷神図屏風

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風神雷神(ふうじんらいじん)図屏風)、俵屋宗達筆、 紙本金地著色、江戸時代(17世紀)、 国宝、京都 建仁寺蔵

風神雷神図屏風  琳派 京(みやこ)を彩る、京都国立博物館、Internet Museum: https://youtu.be/s1DOx13E9SU

(解説) 風神は風、雷神は雷をつかさどる神。金箔で表現した空間、無限の奥行」の上に、水墨の特殊技法を用い、見事なまで「」を描いた。神格化された風神雷神があたかも虚空から突然出現したような印象を、見るもの全てに与える。

〇 扇面散屏風

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扇面散(せんめんちらし)屏風、宗達 江戸時代(17世紀) 宮内庁三の丸尚蔵館蔵

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扇面散屏風 右隻(第1・2扇) 宗達派  江戸時代(17世紀) 東京国立博物館蔵

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扇面散屏風、 6曲1双、 宗達派  江戸時代(17世紀) 東京国立博物館蔵

(解説) 扇絵をたくさん貼り付けた「扇面散(せんめんちらし)屏風」。左右合わせて60面もの様々な場面の扇絵が貼られている。この絵の画家は、俵屋宗達とその弟子たちと考えられている。 宗達は都で扇屋を営む、扇絵制作のプロでした。 室町時代から江戸時代にかけ、扇は人々の間で頻繁にプレゼントされる贈答品で、 贈答者の要望に合わせて様々な画題の扇が作られている。

 この「扇面散屏風」も、よく見ると、「伊勢物語」や「源氏物語」「平家物語」のほか、 上賀茂社での競馬や清水寺、野の秋草など、 祭礼や風景、花鳥を描いた様々な扇が作られている。

(Link)

 〇 雪舟、幻の水墨画、倣夏珪山水図、84年ぶり発見!、とは(2017.9.24):
http://kanazawa-kuratuki.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/84-45ca.html

 〇 伊藤若冲、雪中の名作、動植綵絵(雪中雄鶏図、雪中鴛鴦図、雪中錦鶏図)、代表作、仙人掌群鶏図襖、名作誕生ーつながる日本美術、とは(2018.1.18): http://kanazawa-kuratuki.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-79fb.html

(追加資料)

 國華(こっか) 

 日本の古美術や東洋美術を研究・紹介する月間雑誌。月間美術雑記。国華社発行。1889年(明治22年)10月岡倉天心・高橋健三・九鬼隆一らが創刊。1905年朝日新聞社社主の村山・上野両家の経営となり、39年から同社援助。「美術研究」とともに代表的美術研究雑誌。索引・マイクロフィルム版が刊行。東洋美術の重要作品を紹介し、これらの解説と美術史研究の論説を掲載。東洋美術の研究と紹介に当たり、海外の評価も高い。滝精一が主幹下時代(1898〜1945)には国華の英文版やすぐれた美術書の刊行等、はなばなしい活躍を見せた。

〇 岡倉天心(1862~1913)
 明治時代、美術界の指導者。本名、覚三。横浜の人。東京美術学校長。日本美術院を創設。米国ボストン美術館東洋部長。著(英文)「東洋の理想」「日本の目覚め」「茶の本」など。

〇 横山大観(1868~1958)
 日本画家。名は秀麿。水戸生れ。東京美術学校卒。岡倉天心・橋本雅邦に師事。日本美術院創設に参加、1914年(大正3年)これを再興。没線技法(朦朧体)を試み、墨画にも新境地を開いた。作「生々流転」「夜桜」など。文化勲章。

〇 橋本雅邦(1835~1908)
 日本画家。明治画壇の巨匠。名は長郷。江戸に生れ、狩野勝川院雅信に学び、勝園雅邦(ただくに)と号。東京美術学校教授として横山大観・下村観山・菱田春草らを指導。のちに日本美術院によ拠る。作「白雲紅樹図」「竜虎図」など。

〇 下村観山(187〜1930)
 日本画家。本名、晴三郎。和歌山の人。橋本雅邦について狩野派を修め、日本美術院創立に参加、菱田春草・横山大観と並んで盛名をはせた。東京美術学校教授。作「白狐」など。

〇 菱田春草(1874~1911)
 日本画家。名は三男治。長野県生れ。東京美術学校卒。岡倉天心に従い日本美術院に参加。横山大観・下村観山・西郷孤月とともに橋本雅邦門下の四天王。没線描法(朦朧体)の試みなど西洋画法にも学んで日本画を革新した。代表作「落葉」「黒き猫」。

 

2018年3月 9日 (金)

情熱伝わる風景・静物画 松任 中川一政美術館で企画展、とは(2018.3.9)

情熱伝わる風景・静物画 松任 中川一政美術館で企画展 2018.3.9.

 白山市ゆかりの画家、中川一政さん(1893~1991)の風景画や静物画を紹介する企画展が、同市松任中川一政記念美術館で開かれている。

 当地との縁は、中川一政の母親が、本市(旧松任市)相川新町出身であり、自身も幼い頃や青年時代に母の郷里である松任の地に何度も足を運んだことにあります。 

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「駒ヶ岳」、1980年、白山市立中川一政美術館所蔵

(解説) 山の荒々しさと力強さが表現された「駒ヶ岳」、さまざまな角度から描かれた神奈川県真鶴町の港など、油彩画を中心に計87点を展示、タッチの異なるバラの静物画からは、晩年になっても模索を続けた姿勢が見て取れる。

 中川さんは、フランスの画家セザンヌの「第一の師は自然である」という言葉を励みに屋外写生に熱心に取り組んだ。エッセーでも「毎日絵具箱を肩にかけ、画架画布を脇にかかえてて出かける」と語っている。静物画は「室内の風景画」と位置付け、構図に力を入れていたという。(北陸中日新聞、2018.3.9)

(Link)

 〇 白山市立松任中川一政記念美術館(URL、石川県白山市旭町):http://www.city.hakusan.lg.jp/kankoubunkabu/nakagawakinen/index.html

 当美術館は、日本洋画壇の巨匠で文化勲章受章者 、中川一政(1893−1991)より作品の寄贈を受け、1986(昭和61)年10月に「中川一政記念美術館」として開館いたしました。

 〇 真鶴町立中川一政美術館(URL、神奈川県足柄下部真鶴町): http://nakagawamuseum.jp/

 当美術館は、1949(昭和24)年、真鶴町にアトリエを構え、戦後の日本洋画壇の中心的存在として活躍し、1975(昭和50)年、文化勲章も授章された故中川一政画伯が作品を町にご寄贈されたことにより、その業績と芸術を顕彰するべく1989年(平成元年)3月に開館いたしました。

〇 中川一政(人物紹介、美術品買取市場):http://www.g-bianca.jp/buy/first/01/detail23.html

【1893年(明治26年)】
2月14日、東京本郷区西片町に長男として生まれる。父・政朝(金沢の前田家刀剣鍛冶、松戸家より出る)、母・すわ(白山市、旧松任市相川新町出身)。

【1903年(明治36年)】
巡査を退職した父が巣鴨監獄前に放免茶屋を営むことになり、東京市外巣鴨村向原に転居。

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【1986年(昭和61年)】
松任市(現・白山市)の名誉市民となる。
10月10日、母の故郷である石川県松任市(現・白山市)に松任市立中川一政記念美術館(現・白山市立松任中川一政記念美術館)開館。

【1989年(平成元年)】
3月2日、アトリエのある神奈川県真鶴町に、2つ目の美術館となる真鶴町立中川一政美術館が開館。

【1991年(平成3年)】
2月5日、心肺不全のため逝去。97歳11ヶ月。
9月、真鶴町名誉町民の第1号となる。

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